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はじめまして!Studio Gezelligオーナーです。

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学生時代

私は病院へ行く機会の多い子どもでした。時には要検査で大きな病院へ。楽しみにしていたイベントに参加できなくて残念な気持ちを今でも覚えています。熱にうなされて苦しい、早く治ってと泣きそうになりながら願ったことも。

 

しかし、悲しい思い出の裏側には、温かい人の優しさに助けられた思い出があります。母の手料理。眠れるまでトントンしてくれていた父。漫画を持ってきてくれた兄。病院の待合室で本を読んでもらうのが好きでした。そして頼もしく、優しい看護師さん達。

 

今思えば、この頃から看護師さんに憧れを抱き始めたのかなと思います。

 

 

​一緒にトイレに行く謎に迫る

小学生の頃、「職員室に行くから一緒に行こう?」「トイレ一緒に行こう?」「一人で行きたくない〜」そしてそれを断ると空気が変わってしまう恐ろしさ。私の母は医療や福祉の勉強をしていたので家にはそれらの本が沢山あり、「心理学」の本を手に取りました。

 
そこで「集団心理」について知り、「なるほど、だから皆あ〜やって動いてたんや」と分かり、とても面白かった事を覚えています。「人間って奥が深くて面白いなぁ」という感覚が目覚めたのはその頃でした。
 
 

Restartはいつでもできる

高校で進路を決める時、なりたい女性像について真剣に考えました。
幼少期から人間の心身に興味があったので人間に関わることで、それらを探究していける職業。

 

色々ありますが、私の頭には優しくたくましい看護師さんがいて、その姿は目指すべき女性像でもあり、看護師を目指そうと思いました。放課後は塾をはしごして勉強をしました。

 

当時、わざわざいばらの道を選択した私を想い、先生も親も「文系が得意やのに勿体無い」「国際系の進学なら推薦があるよ」と言われましたが、自分が出した決断に迷いはありませんでした。

 

今思うと、周りに難色を示されても自分の意志を通すという経験は、今回の海外移住に関しても同じでした。

 

 

看護師時代

看護学生の頃、いろんな病院や科に行き臨地実習をするのですが、私が学生の頃の教育実習はまるで軍隊のようでした。

例えば、学生は担当看護師さんに「トイレの介助を行う計画を立てました。確認をお願いします!」とお願いしに行くのですが、必ず「この根拠は何?」と聞かれます。

計画の隅から隅までの根拠を即答できなければなりません。

 

「いつも皆がそうしてるから」は理由になりません。
正確に答えるには患者情報の正確な把握と医学的な知識が必要です。

即答できないと、「そんな事もわかってないのに、患者さんの所いかんといて!」と怒られ、一日中ナースステーションの隅で立ちつくします。

 

厳し過ぎて、泣いている子や途中来なくなる子もいました。

でも私は小学校時代から聞かれてもいないのに探求していたタイプなので、根拠に基づいた行動を説明できるように勉強する事は楽しいと思っていました。

 

その後、大学病院に11年勤め、アートメイクアーティストに転身してからも、ずっと「根拠は?」の渦の中にいます。根拠を持つことは私自身にとっても自信となり、患者さんやお客様にいい看護、いい技術を提供できることに繋がると考えています。

 

 

尊敬できる人がいる環境に身を置く

様々な経験を積み、人としても看護師としても尊敬できる人が多い職場にいたいと思いましたし、正しい評価がされない場所では、いい人も歪んだ人に育ち、医療の質も落ち、看護師としても人としても成長できないと考えました。

 

そして、看護師を平等に判断できる指標がある大きな病院、聡明で向上心を持った看護師がいる場所を求め、関西で最も大きい大学病院に就職しました。

 

運が良かっただけかもしれませんが、その後11年間、私は理想とする人たちと一緒に仕事をすることができました。

 

 

​癌の治療は想像を絶する

私は「長期入院の患者さんが多い科の方が看護師のできる事が多く、勉強になる」と考えました。当時、最も長期入院患者が多かった血液内科を希望し、配属されました。

血液内科とは、「世界の中心で愛を叫ぶ」に出てきた白血病やその他の血液疾患の方が入院している病棟です。

 

今はいいお薬が出てきていますが、当時、特に骨髄移植をする人は大量の抗がん剤を投与していました。治療中、無菌室から出れない生活。

その副作用は凄まじいものでした。

 

何も吐くものがないのに吐いて、眠れないほど気分が悪く、お腹を下し肛門の皮膚がただれ、口腔内は水を飲むのも辛いほどの口内炎、体がだるくて起き上がれない、髪の毛もまつ毛も眉毛も全て抜け、足が象のようにむくみ、肌は茶色になり、爪は薄くなり、指先は痺れて物が持てない。

 

治るかどうかは、抗がん剤が終わってからの検査でしかわからない。家族ともカーテン越しでしか会えず、外の風を感じることもできない部屋で未来への不安を抱え、数ヶ月続けます。何年も続くこともあります。

 

患者さんには小さい子どもがいたり、夢があったり、悲しませてはいけない人がいたり、何か生きる理由があり、頑張っていました。

 

それでも助からない人もいました。ナースステーションで看護師仲間と何度も泣きました。「患者さん達の為にできることをしたい」と強く思うようになりました。

 

 

​得意なことをすればいい

働いていて落ち込む事もありました。私の担当患者さんが辛い症状が長期間続き、性格が以前と随分変わってしまい、看護師に対して酷い態度をするようになってしまいました。

私は患者さんに寄り添うケアを心がける時だと考えました。

 

精神面のケアも看護師の仕事と考えていたからです。しかし医療はチームなので、それをチーム全体に理解してもらうのは難しく、「好き勝手言うなら転院させたほうがいい」「担当看護師がはっきり言わへん(否定しない)から、あんな態度になってる!どうにかしろ」と厳しい意見を言われました。

 

自分の看護方針や計画には確固たる根拠がありましたが、チームで仕事をすると色んな意見があり、何が正しいのかわからなくなりました。

その様子を見ていたベテラン看護師さんが「あなたはあなたらしくていい。あなたしかできない事を大切にしなさい。

 

患者さんは千差万別やのに、看護師が全員同じではいい看護はできへん。いろんな看護師がいていい。

 

いろんな見方があっていい。厳しい事は、他の看護師が言うだろう。あなたはあの患者さんが治療を頑張れるように優しくサポートしたらいい」と言ってくれました。

その言葉はとても深みがあると感じました。

 

意見が合わないから、厳しいことを言われたから意見を変えなければならない訳ではないし、どちらかが間違っているというわけでも無い。自分の信念や自分しかできない事は大切にしていく方がいい。

 

あらゆる角度から物事を見えた方がいい。

 

看護師の経験から自分の持ち味や自分しかできないことも知りました。自分でない誰かになろうとするのではなく、自分を極めて、自分の役割を遂行する。

 

その考えはアートメイクの仕事でも、子育てでも、家族間でも。

まさに人生観にもなっています。

 

 

命と引き換えに失う容姿の美しさ

出産後復帰し、夜勤のないオンコロジーセンターという抗がん剤を受ける方が通院する外来に配属になりました。副作用の少ない抗がん剤が出てきていて、昔ほど副作用なく癌治療ができるようになった為、通院での治療が増えてきていました。

 

私は社会生活を営みながら、外来で抗癌剤を受ける患者さんたちと出会いました。公共交通機関を使って来院し、仕事にもスーパーにも行きます。体力保持のために散歩もしています。

 

その患者さんたちのほとんどが「容姿の変化」に悩みを抱いていました。社会生活を営みながらということは「人の目」があります。副作用で髪は抜け、まつげも眉毛もありません。

 

肌の色も変わり、しみも増えます。爪も弱くなり、指に力が入りません。

「仕方ないよと言われるから誰にも相談できないけど、こんなに変わってしまったことは本当は辛い」「こんな頭だといかにも「病気の人」って感じで見られてしまうから、頭を隠さないと出かけられない」「肌が弱ってしまって買ったウィッグだと痒くてつけられない」「何がいいのかわからない。誰に相談したらいいかわからない」。

私はそんな患者さんの声を聞き、他の患者さんがいいと言っていたものをメモし、同じことで悩む患者さんに情報を提供したりしていました。

 

昨今は癌患者さんの外見の変化に対する看護や医療体制にも着目されるようになってきていますが、整っているとは言い難い状況。

 

抗癌剤治療後の容姿の変化に伴う心理的な変化に関する看護や医療体制についての講義を受けに行ったりもしました。

 

患者さんに「命を助けてくれてありがとう。でも先生は私から美しさを奪ったんですよ」と言われたと医師が話していました。

 

老若男女問いませんが特に女性にとって、容姿が変化していくこと、理想とする美しさとかけ離れていくことはとても辛いことであり、美容と精神との結びつきを考えさせられました。

 

 

病気に心を蝕まれない生き方

最後に配属になった病棟は病院の中で一番有名な科でもあったハートセンターの中にある、循環器内科でした。

 

ここは癌ではなく、主に心臓移植を必要とする患者さんが多い病棟でした。長い人で最長3年間、一時退院することもなく、病棟で心臓を保護する点滴を繋いだり、補助人工心臓をつけて生活しています。それらなしでは生きていけません。

 

抗癌剤のように強烈な副作用はありませんが、不整脈で突然意識消失したり、感染を繰り返したりします。移植が回ってくるまで何年かかるかわからない、それまで生きていれるかわからない、そんな不安を抱えていました。

 

家族や社会と断絶した環境にいる患者さんたちは段々を心を病んでいきます。しかしそんな中でも前を向き続けている患者さんがいました。

 

病状は良くなかったのですが、最新の取り組みをしている遠隔ロボットカフェでロボットを遠隔操作して働いていました。

 

その患者さんが仕事の話しをするときの目の輝きが忘れられません。心を蝕む病状であっても社会とつながりがあることが救いになるということを知り、社会と繋がりを持ちながら闘病する環境を整える事ができたら良いなと考えるようになりました。

 

 

子育て3人ちびっこ時代

私は育児休暇などの制度を利用し、3人の子どもを2歳差と年子という間隔で出産。子どもが小さい頃は夜間も夫が家にいない事も多々あったので、ほぼ一人で育児していました。

まさに汗と涙の日々。

 

ラグビーボールのように両脇に子どもを抱き、抱っこ紐にも1人入れて、走った記憶もありますし、夜中全員に泣かれて、体の上に一人、両サイドに2人トントンして、私が泣いたら誰がトントンしてくれるんやろうと想いながら、夜を明かしたり。

 

子どもがちょっとだけ残すスティックパンの残飯ばかり食べていた時期もありました。

 

そんなバタバタの日々の中、自分や周りの人たちの関わり次第でできる事が増えていく子ども様子を目の当たりにし、可能性を感じ、彼らの未来を想像して色んな経験をさせてあげたいと思うようになり、海外移住を考えるようになりました。

 

 

心を曇らせるシミ

妊娠出産を繰り返したことでシミがかなり増えました。鏡をみる度に目に留まり、隠すためにコンシーラーやファンデーションを厚塗りしました。

 

厚塗りすればする程、化粧崩れはしやすくなるのですが、3人のちびっ子を追いかけていましたから、メイク直しをする余裕はありません。育児に家事に仕事に走り回り、母親としての日々は充実していましたが、肌や髪がボロボロだと、少し心が曇る。元気が出ない。

 

 

肌が綺麗になると、毎日が楽しくなる

悩んだり、化粧品やスキンケアを試している時間とお金が勿体無いと考え、大きな額の出費でしたが、美容皮膚科でシミを全部取ってみました。

顔に大きなガーゼを貼り付けて過ごしていたので、保育園の先生たちに「お母さんどうしたの」と心配され、恥ずかしかった思い出がありますが、それからの生活は一変しました。

 

CCクリームをさらっと塗るだけでメイクが完成するようになり、鏡を見て少し嬉しくなるようになりました。

 

スキンケアや化粧品選びに悩む時間もなくなり、肌が綺麗と褒められることも増え、曇っていた心が晴れたような感覚がありました。

 

小さいことですが、シミがなくなるだけでこんなに気持ちが変わるのかと感じ、美容とは例え客観的に見れば大したことでなくても、悩んでいる本人には心に大きな変化をもたらすと実感できた出来事でした。

 

オランダ移住準備

オランダに移住すると決めてからは病院での仕事から離れる覚悟をし、美容に関する事や病気の人の役に立つ事ができる事を探しました。

アートメイクが抗癌剤治療や脱毛症で眉毛を失った人に眉毛を描くことができる事や乳癌の手術で乳輪を失った人に乳輪を描く事ができると知り、アートメイク看護師に転身する事を決めました。

 

日本でアートメイクは医学免許のある者のみしか施術してはいけないことになっています。昔ながらのタトゥーとアートメイクは違い、アートメイクが日本で流行り出したのは2018年頃でわずか5年ほどの歴史しかなく、情報がほとんどありませんでした。

私は関西で一番大きいアートメイクサロンに自ら施術を受けに行き、アートメイクアーティストになる方法を聞きました。

 

講習を受けて、どこかの美容クリニックに勤める流れになるのですが、講習費用はどこも高額で、私が今ある技術を手にするのには総額数百万円費やしました。

 

講習を受けたとしても施術経験のない者は就職先がなく、クリニックを選り好みできる立場になく、通える範囲のクリニックに片っ端から連絡し、やっとの思いで就職先を見つけました。

 

寝ても覚めてもアートメイクの日々

技術を身につける事は簡単ではなく、施術をさせてもらえるならと初めの半年間はほぼ無給で働きました。ずっと仕事と育児のバランスを大事にしてきましたが、22時ごろまで施術し、終電で帰宅しました。1日最大6件、施術件数は多い時は1ヶ月100件以上。

 

帰宅後や休みの日も練習と研究を繰り返しました。講習で習った事だけでは対応できない事が多いのですが、今までの環境と異なり、側に頼れる先輩はおらず、参考書や文献が無いので自力でネットで見つけるしかありませんでした。

他の施術者も高額の講習を受けて知識や技術を得ていたり、自分のお客さんを確保する事に精一杯という業界であることを知りました。職場に先輩がいましたが、自分のお客さんをとられると思ったようで陰湿な嫌がらせを繰り返されました。

 

上司も収益しか考えておらず、嫌がらせを見て見ぬふりをするという環境でした。

 

今までいい環境で勤めてきただけに、この業界は合っていないかもしれないと思いました。しかし、協力してくれている家族や、こんな私でも選んでくれるお客様の為にも、とにかく技術の向上をする事だけに焦点を当てて、ひたむきに努力しました。

 

目を酷使し過ぎて常に眼精疲労で頭痛がしていました。手首も動かし過ぎて、腱鞘炎になっていました。休みの日も通勤の電車の中でも子どもと公園に行ってる時も寝ている時以外はずっと勉強していました。

 

唯一の趣味だったジムも辞め、24時間365日寝ても覚めてもアートメイクの生活でした。

 

格安アートメイクの末路

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「数年前、韓国でアートメイクをして、また韓国で施術を受けようと思っていたけれども、コロナで渡航できないので来ました」というお客様が結構いました。

日本では10万円程する施術が韓国や東南アジアの諸国では格安で受けれられるようでした。

 

しかし、私のところに来たお客様で韓国で受けた方は全員と言っていいほど、色素がオレンジかグレーに変色していました。勉強していて分かったのですが、アートメイクは使用するインクの成分がかなり重要です。

 

格安のインクもマーケットに出回っており、材料費を落とすと確かに安価でお客様に提供できますが、仕上がり(特に半年後、1年後)に差が出ます。

 

施術者によっては収益重視でお客様の半年後・1年後の状態まで気にしていない人もいました。

 

直後は美しく見えます。一緒に働いていた先輩もその一人でしたが、直後が美しい事やSNSによるマジックで、恐ろしい事にお客様から沢山指名が入ったりしていました。

先輩が施術したお客様と2ヶ月後にお会いした時、たった2ヶ月でグレーのべたっとした眉毛になっていました。グレーヒーリングと言って、施術者の失敗例としてあげられる状態です。

 

しかしお客様はそれを知らず、「アートメイクはこんなもんか」と思ってしまいます。
この業界はお客様に施術者の本当の姿が見えにくいということを知りました。

 

本物のスキルを追求する

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看護師時代、周囲に患者さん想いな看護師しかいませんでした。しかし、アートメイクの業界はお客様想いな施術者は一握りかもしれない事を知りました。

 

しかし同業であれば、誰が本当に上手いか、お客様想いな施術をしているかわかりました。私が目指すべき人、理想とする施術者は”見せかける”ではなく”本物”。

 

ヨーロッパは幸いにもアートメイクが日本よりも盛んで本場です。私はオランダにきてから既にこちらのアーティストの講習を受けました。

 

有名なアーティストさんが発信しているインスタライブなどは見逃さず、英語がわからないところもあるので、音声翻訳を使って何度も聞いています。

 

毎日業界の最新情報へのチェックは欠かしません。 最新の技法や良い商材をお客さまへ提供できる本物の施術者であるために 日々邁進しています。

 

眉毛のアートメイクの良いところ

たくさんのお客様を施術させて頂く中で、自分の顔をより美しく見せる眉メイクができている人は半分もいないと知りました。

 

眉毛は整形級に顔を垢抜けさせます。

 

それに私も眉毛とリップのアートメイクをしているのですが、眉毛のメイクにかけていたあの集中力や時間、外出先で眉尻が消えていないか気にしたり、汗をかくシーンやお風呂、すっぴんの時も眉毛を気にしていたあの時間、全てなくなりました。

 

お客様の声で一番多いのが「もっと早くすればよかった」です。費用が高額なので悩みますが、自身のしみ除去の経験からもアートメイクを受けた経験からも無駄ではないと言い切れます。

 

リップのアートメイクの良いところ

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私の唇は元々くすみはないのですが色が薄く、ぼやっとしていたので常に血色が良くなるように口紅やリップをつけていました。

 

今は何もしなくても自然なピンクなのでと何も気にせずに過ごせてとても楽です。

唇の血色が良くなると肌がワントーン明るくなり肌を美しく見せてくれます。

ほとんどの方が唇にくすみがありますが、そのくすみをとるだけで、顔全体が華やかになり、ファッションやアイシャドーなども似合う色も増えます。

 

リップアートメイクをされた方は直後の頬の肌が綺麗に見えると感動されます。目は加齢と共にどんどん小さくなっていきますので、アイラインが入っているだけで目がぱっちりに見えます。

 

私はアートメイクが強調される仕上がりではなく、ごく自然な美しさが一番美しいと考えており、溶け込むような仕上がりを追求し得意としています。

 

まつげパーマの良いところ

 

私自身、4年ほど毎月まつげパーマを受けてきました。いろんなサロンに行き、いろんな施術を受けて、お気に入りの施術方法をしてくれるサロンを見つけて通っていました。

 

カールの持ちに関してはまつげの毛周期にもよるので前後しますが1ヶ月は必ず持ちましたし、日々のまつげケアは面倒でしていないのに、まつげにハリがあると褒められていました。

 

毎日ビューラーをする手間が省け、横顔が美しく見え、女性らしい目元になり、目がぱっちりと大きく見えます。パーマ液でまつげが痛むか心配していましたが、まつげを保護する薬剤の使用や、1つ2つ工程を追加することで気にならない事もわかりました。

 

当サロンでは自分が受けて一番良かった方法を取り入れています。

 

オランダでまつげパーマを受けた結果

オランダでまつげパーマを受けてみました。郷に入れば郷に従えという言葉もあるので、オランダの方法のがよければ新しい発見にもなるし、薬剤などもこちらで仕入れる事ができれば届くもの早いし安心だなと思ったからです。

 

日本では問診票や同意書の記入がありますが、こちらではなく、希望さえ聞かれないので自ら「Cカールにしてほしい」と伝え、呼び名が違うかもしれないので絵を描いて伝えました。

 

「OK」と言っていましたが、仕上がりは少し上がったかなというくらいでした。

しかもまつ毛がパサパサになっていて、1週間でパーマは完全にとれていました。それもそのはずで、工程も淡白で、巻き上げも丁寧ではありませんでした。

時間を置いている間、施術者の方は違う部屋に行ってしまったので、使用物品などもチラっと見てみましたが清潔に扱われている感じはせず。

 

ヨーロッパで売られているパーマ液が良ければこちらで準備した方が材料費を落とせるので安価でお客様に提供できると考えましたが、良いと思えなかったので、パーマ液は自分のお気に入りのサロンで使っていたものにし、ケラチンのケアをする中間処理材なども使用。

 

自分が毎月したくなるクオリティの技術を提供できるようにと思いました。

 

現在-自分が受けたい施術をする-

はじめて自分のサロンを設立。自分が受けたいクオリティ、ホスピタリティを保つよう準備しています。

 

日本やアメリカ、ヨーロッパ、中国など世界各国に商材を注文していて、商材が返送されてしまったり、配送に時間がかかったり、違う国に送られていたり、輸送費なども情勢の影響を受けて高騰化していたりします。

 

しかし、美容が生活に及ぼす影響を感じてきたからこそ、妥協はできないと思っています。

 

勿論、最高峰のものを提供できるとは言い切れないまだまだ未熟な私ですが、今現在、自分ができる最大のことをお客様に提供したいと考えています。

これからも今の知識や技術に満足することなく、日々邁進していきます。沢山の出会いがあることを楽しみにしています。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。